誇りとは何だ? | レッド・ブラッド・イレブン

誇りとは何だ?

誇り ドラガン・ストイコビッチの軌跡 みなさんはJリーグナンバーワンの選手と言えば誰を思い浮かべるだろうか?思えば二十年にも満たない歴史の中で色とりどりの名選手達がやって来たものだ。だが私は誰がなんと言おうと彼、ドラガン・ストイコビッチを推す。

創始当初のJリーグに来たストイコビッチはその世界最高峰と賞賛されたテクニックで、引退する2001年まで日本の観客を魅了し続けたが、来日当初から受け入れられたわけではない。いや、むしろ来たばかりの頃は先に名古屋グランパスに在籍していながらも、ろくな結果を残せないまま去っていたリネカーの二の舞とさえ言われていた。それに重なるように監督との不和、周囲の選手とのレベル差、そして基準の分からない判定。

だがストイコビッチは決して諦めなかった。自らのプレーでフットボールが魅せて勝つスポーツであることを日本のファンに認識させた。

しかし逆に言えば、彼はJリーグでプレーするべき選手ではなかった。実際はヨーロッパのトップリーグでプレーしていなければいけない選手だったのだ。だが彼の周囲で起こった出来事がそれを許さなかった。

現在のストイコビッチは母国であるセルビア・モンテネグロの協会会長に収まっているが、かつて彼の祖国はユーゴスラビアと呼ばれ、数ヶ国、数種類の人種が混じりあった国家だった。しかし国内紛争が勃発し、昨日まで仲のよかった隣人達が突如として敵になった。国家は分裂し、黄金世代とさえ呼ばれ、ベストメンバーが揃えば、ワールドカップの優勝さえ夢ではなかったチームが分散していった。

それだけではない。セルビアは罪の無いクロアチア人を虐殺する、侵略国家というレッテルさえ貼られてしまった。「全く、お前らは、モンスターか!」。これはストイコビッチが所属していたマルセイユからセリエAのベローナにレンタル移籍していた頃、イタリア人コーチがすれ違った際に吐き捨てるように言った言葉である。後にその原因がわかった。テレビで放送されていたBBCのニュースにクロアチア人の少女が登場し、BBCの取材に受け答えをしていたのだが、それが全く別の意味に訳されていたのだ。紛争は全てセルビア人の責任にされ、それはどの国でも変わらない報道スタイルだった。

政治に翻弄され続けた旧ユーゴスラビアの代表選手達。だがセルビア人もストイコビッチも誇りを捨て去ることは無かった。誇りとは何なんだろう?詳細は次回に。